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死を恐れていない理由

とても長いですけど、湧き出るがまま一気に書きました。



真希は死というのは恐れていません。





昔は、死ぬのがとても恐いと思っていました。
今とは真逆です。

死を全く恐れなくなった理由は、たくさんの誤った認識を植えつけられ
恐れる事自体がおかしい事だと分かったからです。





例えば、
『 時間 』 、 『 年月 』 、 『 年齢 』 というもの。


みんな、長生きが出来れば幸福、短命なら不幸というふうに思っています。
今では、どこ行っても名前のあとに必ず何歳って付いてきます。

人間はアナログなのに、デジタルで決め付けられています。


でも実は、人間というのは時間の流れのなかに生きているわけでは
ないということを知りました。





100歳まで生きた人も、幼くしてこの世を去った人も、
たとえ200歳まで生きたとしても、

すべての生命は、『 今 』 を生きてきたのです。


人生というのは、『 今 』 の連続であり、
今この一瞬一瞬が人生であり、未来も過去も、 『 今 』 を生きています。


大古から人間は、時間は流れているという認識でいますが、
本質は、『 今 』 という瞬間が重なり合っているだけです。


そしてひとつひとつの出来事は、偶然こちらにやってくるのではなく、
既に全ての学ぶべき事を知っている自分の中の 『 神我 』 が、

今の自分にぴったりの、自分自身のためになることだけを
常に創造させているのです。

私たちは、既に自分の人生を自分で切り開いていっています。





たとえ起きた事の意味がわからない事でも、受け入れ難いことであっても、
理不尽な事であっても、

そう感じているのは肉体側の濁った 『 我 』 であり、
本当のあなた 『 神我 』 は、それがどういう意味を持っていて、

どんな事を知ろうとしているのかを既に知っているので、
『順調だ。何の問題もない。』 と言っています。





多くの人達みんながこだわっている年齢の長さも、
時間は流れているものだと認識しているからこそ、

生きている長さのほうばかりが幸福の基準で、
『 今 』 に対しての感謝はなくなり、必然的に短い人生は
『 かわいそう 』 となってしまう。

大事にするべき所を勘違いしています。


本当は、いっぱい込められたその一瞬一瞬のほうが物凄く大事なのに、
『 長い 』 、 『 短い 』 、で勝手にその人の人生をかわいそうな人生だったと
評価してしまうのはとても失礼です。





人生で一番大切なことは、どれだけ長く生き延びたかではなく、
どれだけ込めて生き抜いたか、どれだけ親切に出来たか、
どれだけ人から喜ばれ、感謝されたかです。





人は、常に人のために使命を持って生きている。

同時に、人のためにしたことが全て自分自身のためであった事を知りました。
この人生というのは自分が主役です。


『 我は人々のため 』
『 人々は我のため 』

じゃあなぜ、世の中に悪人がいるんだろう。
昔は、それがどうも矛盾していて納得いかなかった。





実はすべては繋がっていて、ひとつであるという事を教えてもらった。

この真実を謙虚な気持ちで、よく深いところまで考えてみると、
私達は様々な事に対して、とても大きな思い違いをしている事に気がついた。


すべてがひとつであるならば、それをひとりの人間として考えてみる。

『 地球 生命体 』 という名前の、ひとりの人間に、
栄養の偏りや歪み、痛みがあるとしたら、
一体誰が、それを教えてくれるんだろうか。

一体誰が、人生すべてを賭けて、
訴えて、叫び、さらけ出し、表現してくれるんだろうか。

誰かが私を教えてくれなければ、どうやって病んでいることを
知ることができるんだろうか。


真希は、今まで憎むだけであった悪人といわれる人達、
人から嫌われる人格として成長した人達に対して、
見る目がすっかり変わってしまって、涙が出るようになった。


『 あらゆるすべての攻撃は、助けを呼ぶ叫び声 』 である事を
教えてもらった。





とても厳しいことですけど、

恐ろしい事件や、多くの犯罪を見たときに、
『 これは私の世界のなかで発生していることです。 』
と、認めなければならないのです。

『 これは私の責任です。 』 と認め、宣言して初めて、
物事を変える力を得るということを教えてもらった。





すべての生命は、誕生する前に、
『 私自身 』 でもあるみんなのために、

その人生で必要なあらゆる能力、逆に未熟なもの、障害といわれるもの、
いろいろな事に制限をかけ、その環境に必要な形に姿を変えて誕生し、
そしてみんなにとって一番必要なものだけを残して、去ってゆく。

すべての生命は、その環境をみずから選んで生まれてきます。

人間は、なんの意志も持たずに
その家族のもとに生まれてくるわけではないのです。


実はこの世で出会う人々は、
以前に数百回と再会を繰り返してきた人達であることを知った。





そして勘違いしてはいけないこと。


ヒトは未熟で至らないところがあるのは、当たり前のことです。
未熟で制限があって不完全であるからこそ、分かる事、
知る事があります。

最初から満たされていたら、満たされる感動が実感できず、
喜ぶことも、悲しみによって痛みを知る事も出来ません。

それは無いのと同じ事です。


『 素晴らしさ 』 を感じるためには 『 素晴らしくないもの 』 がなければ
それを知ることは不可能です。

『 偉大さ 』 は 『 偉大ではない 』 ところにいかなければ
実感できません。


何事も、『 そうではないもの 』 があるからこそ
それを実感、体験でき、自分を知ることができる。

生命が誕生することの大きな意味は、そこにあるのです。
人間は、見かけだけで他人の人生を勝手に評価するものではありません。





不安になる事は何もないことを教えてもらった。


良い結果にならない事もあるから不安になるのではく、
不安になっている意識の波長の積み重ねが良くない結果を引き寄せるのです。

それでも、自分の思うような結果にならなかった場合でも、
結局は自分にとって最高の結果である事を知りました。


つまり、自分がしたいこと、感情も含め、逆らわずに
涌き出るがまま自然の流れに身を任せていれば、
すべてうまくいくことを知りました。





すべての人生に、
なにひとつ間違いはないという事を知りました。

間違いだというのは、『 私ではなく 』 、
この宇宙の法則、自然の摂理のほうが間違いを犯しているということです。

私達人類全体がこれまでしてきた過去を、省みることもしていない、
学習もしない、真剣に分析もしない、真実も捻じ曲げて伝える、
それどころかその状態に対して意識改革をするのではなく、
今まで通り維持させるために、破壊、攻撃、殺戮を止めようとしない。

そのくせ 『 自然は恐ろしい 』 という。
人間が一番恐ろしいのではないですか。


今現在のあらゆる状況は、人間達の意識通りのことが結果として
創造されたものに過ぎません。

そこに間違いはなく、ある意味、思い通りになっているということ。


ですから、それが自分達に相応しくないと感じたのであれば
意識改革するしかないのです。





『 失敗 』 、 『 間違い 』 、 『 悪 』 、 『 邪 』 は、
否定、批判、排除するけれど、
それでは物事の本質を見抜くことは出来ず、見誤ることになります。

すべての行き着く先は決まっているけれど、大きく遠回りすることになります。


ふつう壊れたものを直す時、手も触れずに直せるでしょうか。

本当にそのままではいけないと改善を思うのなら、
一旦手に取って触れてみて、よく観察し、必要なものを揃えて直すはず。


それが人間に対してであるなら、
あるがままを認め、尊重し、歩みよる。

それが出来て初めて、『 手に取って 』 となります。





人間の人格というのは、
肉体側というより、自分の後方に生きる、様々な自分達の
意思であるのだということを知りました。


自分の今の人格は、後方にいる意思と、
自分の中にいる本当の自分 ( 神我 ) を土台、基礎にしています。


その意思とは、様々な人生を生きた自分自身の意思であり、
その先 ( 未来 ) にいる自分自身であり、
既にすべてを知っている自分自身である。


それは肉体側の自分のココロとは別で、
後方にいる意思と、自分の神我が、

『 もうこの身体での役目が終わった 』
『 再び形を変える必要がある 』 と判断したとするなら、
真希は大きな幸福感を持って、受け入れるでしょう。





最後に心得ておかなければいけない大切な事。


実は私達は、 『 生きている 』 のではなくて、
『 大いなる意思によって生かされている存在 』 であるという事。


いかに長く生き延びる事を考えるのではなくて、
『 どうやって死んでゆくか 』 という事がとても大事で、
常に自分の心に置いておく事。


生きた長さを考えるなど愚かなことです。
今という一瞬一瞬に感謝を忘れてはいけません。

自分が人のお役に立てた時は、きちんと感謝をする事。

今自分が出来ることは必ず誰かのために、
その先にいる自分のためになります。





当たり前のことですけど、人は必ずこの世を去ります。
去らない人が、幸せですか。

そういう話は縁起でもないと言われますけど、
じゃあ何歳まで生きれば、みんな納得して、不幸ではなくなるんでしょうか。


すべての人間は、

『 どういう生き様を残して死んでゆくか 』 、という
変えようのない事実があることを、忘れてしまっているのか、
どこか思い違いしてるのか。


それに対して、何を根拠に恐れなければいけないんでしょうか。


『 自分はまだ、生かされている 』
『 では、私がまだ必要とされているのだ 』

と考えれば、感謝しか残らないと思いませんか。





最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

プロフィール

真希 ( 旧、ぶぅーちゃん )

Author:真希 ( 旧、ぶぅーちゃん )
訪問ありがとうございます。
真希です。
(2010年11月に改名)
戸籍上は男性です。

正式に性同一性障害者と診断されてます。


睾丸摘出済み。
2週に1度、女性ホルモンの
注射を打ち女性化 ( 治療 )
を行ってます。

とても子供っぽい性格です。

おうちでのお仕事の合間に、
みんなが幸せになれるような
ためになるお話を書いてます。

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